「やりがいのある仕事」という幻想

先週行ったアシックスランニングラボで「週2回くらいペース上げて走って心肺機能向上を。時間は40分くらい」とアドバイス受けたので早速トライ。ATペース(5:34/km)〜RCTペース(5:00/km)の間で5:20/kmを狙ったのですが、気付いたら5:10/kmに…でもきちんと走り切れて。確かにたまにはこれくらいペース上げて走ると気持ち良い。毎日だとキツいから週2回くらいってのは調度良さそう。今後も続けよう。

昼は掃除片付けなど。
夕飯は炊き込みご飯、鯵の刺身とたたき。炊き込みご飯は私が、鯵は夫が、と2人で分担して料理するのは初めてだったような。

「やりがいのある仕事」という幻想読んでる本の残りがあと少しだったので、読みきっちゃいました。森博嗣さんの本。最近Android版koboをダウンロードしたところ、500円クーポンgetしたのでそれ使って購入。スマフォでもNexus7でも読めるのが地味に便利ですね。栞も同期してくれるので、Nexus7が手元にあるときは勿論Nexus7で読みたいし、電車で立ってるときなんかはスマフォが読みやすい。
タイトルからして森さんらしいですが、内容も最初から最後まで森博嗣さんらしい格言の数々で御座いました。「仕事で人間の価値が来まるのではない」という言葉が何度となく出てくるが、本当にそうですね。中にはそういう人もいるけれど、「この人は仕事してないから価値が低い」ということはなく、仕事する必要がないならそれでいいじゃない、と。

そういう「偉そうな仕事」をしたら、その分の高給は得ているわけで、それでその偉さは差し引かれいるはず
なのだ。もし、賃金は一切いらない、というのなら本当に偉いと思うけれど、金をもらっているなら、それで
いいじゃないですか、と僕は考えてしまう。

なるほど、それは確かに。

他にも色々。

人から褒められたのは、これまで自分が子供だったからだ。
大人になったのだから、自分のことは自分で褒めよう。

なんて、「努力だけは認めてくれたっていいのに…」と零す人たちに向けたい。

本当に素晴らしい仕事というのは、最初からコンスタントに作業を進め、余裕を持って終わる、
そういう「手応えのない」手順で感性されるものである。この方が仕上りが良い、綺麗な仕事になる。

でもギリギリで凄い無理して間に合わせた方がやりがいはあるように感じてしまう、という話。他にも「やりがいのある仕事なんて幻想」の意味はいろいろ書いてあります。あと非常に共感したのがこれ。

本当に楽しいものは、人に話す必要なんてないのだ。
人から「いいねぇ」と言ってもらう必要がないからだ。

Facebookの「いいね!」の数なんて興味なくなったり、そもそも書き込むのすら止めてしまったのは、正にこのことを最近感じ始めたからでした。別に自分が楽しんでるからそれでいいやって。

共感したことはいっぱいいっぱいあるんだけど、まぁこの辺で。でも本人が言っているように「身も蓋もない」と感じる人も多いかもしれないですね。でも結局のところ、要は自分がやりたいことをやればいいじゃない、ってことなのかな。

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