学ぶ意欲の心理学

放送大学で受講していた「学習・言語心理学」で参考文献として出ていて、興味をもったので読んでみた。この科目は事前期待の割に面白くなかったけど、言語学とは?言語心理学とは?学習心理学とは?それぞれの分野はこんな学問なんですよ、という紹介の講義だった、と割り切れば良かったかも。

内発的動機づけの減退効果 (undermining効果) について。

  • 報酬なしでも意欲的に取り組んでいた (ex. 本を読む、勉強をする)
  • → その事柄に対して報酬を与える (ex. お小遣いやおやつ等ごほうび)
  • → 報酬をやめる
  • → 報酬なしでは、やらなくなってしまう (ex. 本を読まなくなる、勉強をしなくなる)

ってやつ。だから報酬の使い方は要注意ですよってよく言いますね。面白がってやっていた活動だったのに、何かの報酬をもらうための手段とみなされてしまうと、元々持っていた内発的な興味が失われてしまう。
この話は知っていたのですが、ふと、私が社会人になった途端に「時間外に研究(仕事)関連のことをする気が失せてしまった」のはまさしくこれだったのではないか?と気付きました。裁量労働でなかったので「働いた時間だけ給料をもらえる」状態。お金のために仕事/研究してるって気持ちになったんだろうなぁ。もちろん学生時代もお金(RA)はもらっていましたが、「お金のために」感はそんなになかった。私には裁量労働の方が良かったのかもしれない。今は裁量労働になって、ちょっと学生の頃のマインドが戻ってきたかな、という気がする。

「今はインターネットですぐ調べられるんだから知識なんていらない。自分が考えることが大事」的な話よく聞くけど「知らなきゃ調べられないでしょ」と思っていた私。まさにその話。著者は、刈谷先生との対談の中で

認知心理学から見たら、そんな変な話はないわけですよ。人間は知識をもとにして人の話を理解したり、新しいことを考えたりする。これは認知心理学者だったらまずそう言うはずなのに、その頃ああいう言説が完全にまかり通ってしまった。そこから知識軽視が始まって、「教え込みはよくない」が始まって、自分で考えろと言われる。そうすると、もう小学校ではとんでもない授業になるわけですね。単元の最初から、ほとんど予備知識もないまま、「さあ、皆さん、考えましょう」と。そうすると、とにかく共通の知識なしにただ考えを述べ合うだけの授業になって、力はほとんどつかない。しかも、生徒が間違えたことを言った時に正さない授業までだんだん見かけるようになってきて…。

と話されていました。そうだよね、感じていたことを言語化してもらえてすっきり。「エビデンスベースで教育を」と様々な学問や統計、実験結果を利用しているように見えるけど、こういう誤った解釈もまかり通っているんだろうな、その判断は難しいな、個体差も大きいし、結局対象をよく観察するしかないのかな、等と思いました。

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