日本の自殺

文藝春秋 2012年 03月号 [雑誌]ギョッとするタイトルですが。グループ一九八四年による共同執筆の論文「日本の自殺」がちょっと話題になっていたので読みたくなって文藝春秋買いました。芥川賞作品も読みたかったし(まだ読んでないけど)。37年前、1975年に掲載された論文。なんですが、この論文に書かれているのは見事に現在の日本に当てはまること。
そう「日本の自殺」て、「日本における自殺」の話ではなく「日本という国の自殺」の話なのです。国や文化の衰退は外的要因(戦争とかね)でなく内的要因によって起こると。「…て記述は納得。心しておかねば」なんて話書くと、もう全部書き写すしかなくなるので、興味ある方読んで下さいてことで…。

でもちょっとだけ。情報化の代償のお話が出てきます。

マス・コミュニケーションの発達は一方において人間経験の世界を、各個人が経験できる時間・
空間の限界を越えて外延的に拡大させる。ところで他方、この外延的に拡大した経験世界の内容
はますます希薄化し、断片化し、空虚なものとなる。

今はインターネットで様々な形の情報を得ることができる。それでわざわざ旅行に行かなくても疑似体験できちゃうから旅行減ったみたいな話聞きますけど。そういうことなのかな。
私は写真や文章だけじゃ物足りなくて、むしろ「これを生で体験したい!」という方向に走ってしまうんですが。そうでない人も多いなと確かに思う。つまり

映像・音声・活字などによる間接経験の比率が高まるとともに、濃い内容の直接経験の比率が
次第に低下し、こうしたことの結果、青少年は希薄な「ごっこの世界」の中で、深い感動を伴う
経験に飢え、「しらけて」くると指摘されている点である。

こういうことか。

もうね、ほんと納得の嵐です。
「教育の世界に広がる悪平等主義」や「疑似民主主義の画一的、一元的、全体主義的性向」の話、便利さの代償としての思考力や判断力の全体的衰弱/幼稚化の話。ほかにもいっぱい。
こうして振り返るだけでもう1度読みたくなる。もう1度読もうかな。

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