【本棚登録】『ヒトの言葉 機械の言葉 「人工知能と話す」以前の言語学 (角川新書)』川添 愛 https://t.co/GwPCWgVo5p #booklog
— しほ (@_salt_h) January 26, 2021
AIとの会話は随分自然になってきたけど、つまり、チューリングテスト的にはかなり優秀になってきたけど、コンピュータが私たち人間と同様にその文章の意味を理解しているわけではない。と、本を読む前から思ってはいたが、では「文章の意味を理解する」とはどういうことか、どうなったら理解したことになるのか、を深く考えたことはなかった。「第二章 言葉の意味とは何なのか」では正にこのことが語られている。突然の哲学的な話に興味津々。言語哲学という分野らしい。言語哲学の本も読んでみたい。
他人とコミュニケーションをとるとき
お互いに対して (1)本当のことを伝え、(2) 無駄を省いて必要なことだけ伝え、(3)今の話題に関連のある形で伝え、しかも (4)暖味さを極力避けて伝えるものだ、ということを暗に期待しています
とあった。確かに聞くときはこれらを前提として理解しているし、話すときもそのつもりで話している。けど、話しているとき、この前提条件をクリアできるよう努力・工夫をしているか?というとそうでもない。うまく伝わらないのはこの前提条件を満たせていないときなのかもしれない。特に「(2)無駄を省いて」と「(4)曖昧さを極力避けて」のバランスは難しい。
会話するってすごいことなんだなー、と思った。これは言語習得過程にある幼ない子が話しているのを聞いてるとき、常々思うことでもある。
今後もし機械翻訳の精度が劇的に向上し、文字通りの翻訳がほぼ正確にできるようになったとしても残る問題です。むしろ、きわめて精度の高い機械翻訳が誰にでも使えるようになった場合にこそ、他国の文化についての知識不足が問題になるかもしれません。
言語学の本読んでいると、これ本当に感じる。背景にある文化も含めて言語なんだなぁ、と。機械翻訳の精度が低い内は「この機械翻訳の文章では伝えきれてない分が多くある」と感じることができるけど、精度が上がって一見自然な翻訳文を出力するようになったら、背景にある文化が違うことを忘れてしまいそう。文化の違いまで表現しようとするだろうけど、それはそれで誤解をうみそう。
なんだかんだ翻訳という職業はまだまだなくならないのでは? という気がした。