体調戻り中

今朝は目覚め良くアラームより先に起きれたり、昨日不調だったランニングも今日は気持ち良く走れたり、体調が戻ってきている感じがします。

午前中は吹奏楽の練習。春の猟犬、輝く銀嶺、ジャンニーニのVariation and Fuga。春の猟犬のピッコロは練習の度に改善は見られるもののまだまだ。このペースで改善すれば来月の本番には間に合うだろうとは思いますが、まぁ来週末のオケの本番が終わったら、がっつりやろうと思ってます。でも次の合奏って来月なんだよなぁ…。

オーケストラの音楽史: 大作曲家が追い求めた理想の音楽午後は図書館へ。の前に、あと少しで読み終わりそうった本を読み終えてしまいました。最後の方は段々著者の思想が強くなってきたというか、哲学的(?)な内容になってきたこともあり、やややっつけ。
でも非常に面白い本でした。バロック時代〜ハイドン〜モーツァルト〜ベートーヴェン、とオーケストラの編成や扱いがどう移り変わっていったのか。そんなお話。賛同できない点も多くありましたが(「マーラーの交響曲を演奏するには、それほど高い技術を必要としない」とか、ブラームスが交響曲を書くのが遅かったのは交響曲を書く必要性を感じてなかったからとか)、主観に基いて書かれているんだなと受け入れて読めば、これはこれでありなんでしょう。
ただ「主観が結構入ってるなぁ」ということに気付いてしまうと、どこまで信じて良いのかわからなくなる(引用文献とかもないので)。バルブ式金管楽器が発明された頃は、音色がナチュラル管より良くなかったので作曲家は好んで使わなかったとか。どうなんだろうなぁ…。

この本は日本で出たのは昨年ですが、元の本が書かれたのは1936年。ショス5の初演は1937年。それくらいの年。そう思うと、

マーラーは今日においてもなお、必ずしも大作曲家とは認められていないし、
ブルックナー以上に誤解との戦いを強いられている。

とか「え?」て思うような記述も、もしかして当時はそんな時代だったのかしら?などと思えてきます。実際どうだったのかわからないけれど。終わりの方(ストラヴィンスキーなんかのあたり)には、

旧作は成立当時の社会的背景から切り離され、純粋に音楽的な視点から鑑賞されるようになった。
「芸術のための芸術」という風潮が続いていたため、すべての作品がその基準によって評価された。
その結果、聴衆の側に「作品はそれが書かれた時代と社会の考え方を反映したものである」という
事実を受け止めた上で耳を傾ける余裕はなかった。

良いか悪いかはともかく、こういうった背景で「演奏の仕方」に重点が置かれるようになってきたのでしょうか。
「和声のシステムとともに発展を続けてきたオーケストラは、同じ方向へはこれ以上進めないところまで来てしまったのである」とも書かれていますが、あぁ、それは確かにそうなのかな、だから現代音楽は今までと全く違う方向を向いているのかな、という意味で納得。シェーンベルクだったか、自分だって調性音楽を作りたいが(最初の方の曲には綺麗な曲もある)それはもうできない、無調性の曲を作るしかない、みたいなことを言っていたとかいう話を思い出す。無調整音楽苦手な私には受け入れ難いですが、実際のところそうなのかもしれません…うーん。

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