レニングラード

戦火のシンフォニー: レニングラード封鎖345日目の真実確か、twitterで知ったんだったと思います。amazonの紹介より引用。

一九四二年八月九日、ナチスドイツに完全包囲された、封鎖345日目の古都レニングラード。
すべてのライフラインを断たれたこの瀕死の町で、ショスタコーヴィチの超大作、交響曲第七番
『レニングラード』を現地初演しようとする八〇人の音楽家たちがいた!なぜ?何のために?
極限状況下、芸術は何の役に立つのか?平和と音楽を愛するすべての人に贈る、驚愕のヒュー
マン・ドキュメント。

すぐ図書館で予約して借りたのでした。曲の背景なんて知らなくてもその曲が素晴しければそれで十分。そう思ってずっとクラシックを聴いてきましたが、それでもショスタコーヴィチについては数いる音楽家たちの中でも最も政治/社会に翻弄された人。いくつかのエピソードは演奏会のパンフレットで知っていたけど、いつかちゃんと本読みたいなと思っていたのです。なので、手に取りました。

ラジオ・シンフォニーの復活が決まって音楽家たちが再び楽器を手にとって…そんなシーンは思わず涙。音楽が絡むと涙もろい私。しかし封鎖されてもオペレッタを上演し続けたミュージカル・コメディ劇場、音楽家に疎開を命令する政府、音楽家の兵役/労働免除を訴える人たち。文化の街レニングラードの誇りというか…凄いですね。でもやっぱり音楽で支えられてたんだなぁと、それだけ大事だったんだなぁ、と。翻って日本はどうだったんだろう。何かしら文化的活動が保護されたりしてたんだろうか。
特に印象的だったのは、忙殺されてるジダーノフがラジオからメトロノームの音しか聴こえず、ますますいらついて電話するこのシーン。

彼は苛立ち、発作的に受話器を取り上げて直接ラジオ委員会に電話した。
「ジダーノフだ。君らは何でこんな陰気な雰囲気を作っている!何か音楽をやらんか!」
彼は特に音楽好きな人間ではなかった。スターリンのお供でオペラに行くことはあったが、
ふだん音楽には特に興味を示さなかった。だからこれは、“本能が言わせた”としか思えない
言葉だった。そして彼の言葉が持つ威力を、レニングラードで知らない者はいなかった。

これでラジオ・シンフォニーは復活し、交響曲第7番のレニングラード初演に繋がるのです。ここから先は本当に一気に読んでしまいました。
ジダーノフさんって「ジダーノフ批判」でしか知らなかったので全然良いイメージなかったのですが、あぁ、元々こういう人だったのか、とか。とっても優秀な人だったんですね。ジダーノフ批判は1948年でレニングラード封鎖(1941-1944)より大分後のお話。

レニングラードの1楽章〜3楽章はドイツにレニングラードを封鎖されてから、ショスタコーヴィチがレニングラードで書き、疎開後4楽章を書き上げた…そんな話すら知らなかったので本当に興味深く読みました。しかし念願の第7番のスコアがレニングラードに届いて、ラジオ委員会が開いてびっくり、この大編成…というところ、笑いそうになってしまった。戦時中なのにこんな大編成って。さすがですね。でもこんなところで妥協したくなかったんでしょうね。

この本の中に何度となく出てくる「封鎖の日々の音楽」是非読みたいのですが、これは参考文献リストに出てこないということは本にはなっていないのかしら…。そして、このレニングラード初演を記念する博物館、戦争博物館に是非行きたい。あとがきには「この博物館を日本に招聘したいと強く願っている」とあったけど、是非実現して欲しいなぁ…。レニングラードにも行ってみたいけど、サンクトペテルブルクって言葉とか治安とかどうなの?とかいろいろ気になるわけで…あぁ、でもサンクトペテルブルクは絶対いつか行きたいんだよなぁ…。

これを機にショスタコーヴィチの伝記でも関連書籍でも読んでみたい、とも思ったのでした。やっぱり背景を知ると曲の聴き方が変わる。

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