上期終わり

常識にとらわれない100の講義明日から10月。今年もあと3ヶ月。はやいものです。今年49冊目の本を読み終えました、一昨日の夜。タイトルそのまんまの森博嗣さんのエッセイです。エッセイ? 一つのお題につき2頁と決めて書かれたそうで、中には冗長に感じるもの、プツンと急に切れてしまっているもの、などもありますが、総じて面白かったです。一瞬「え?」て思わせるけど内容聞くと成程確かにという話が多い。

これぞ私も感じていた!というのは

芸術とは、考えるものではなく、感じるものだ。綺麗なら良い、美しければそれで充分、
感動すれば、それで価値がある。そういうものなのである。

とか

どれだけ努力しようが、どれだけ時間をかけようが、そういうもので結果の評価が影響
されてはいけない。ただ、そこにある内容で評価すれば良い。

とか。

はっとした言葉はいっぱいあったけど、特に抜き出すなら、

一旦理由を思いついてそれに縛られる。好きなものを探さず、理由を探すようになる。
たとえば、面白かった小説がミステリィだったら、ミステリィだから面白いと思い込む。
そうして、自分が出会う面白さの範囲を狭めておいて、だんだん面白さが見つからなく
なる。「どうして面白いミステリィが最近ないのだろう?」とまた理由を探そうとする
のである。

あぁ、自分、そういう風になってないかな?と思わずにいられない。あるいは、今後そうなるのではないか?とか。自分で狭めちゃうことのないように、肝に命じておかねば。

しかし印象に残ったのは何よりコレです。

僕が思いついたものは、逆にこのネットを利用し、読者を騙すという方法である。たとえ
ば、「予告された作品自体が出版されない」というようなトリックが究極だろう。どんな
ふうに書いても疑ってかかる熟練のミステリィマニアでも、出版予告とかは何故か信じて
いるのだ。また、作家がブログに書いたことは真実だと思ってしまうらしい(引退したと
信じた人も多いし)。
作家が書くものは、すべてまぎれもない創作である。

これが一番面白かった。えー、ですよ。他の項目に「今は作家を引退したから好きなものを書いている」とか何度も「引退したので…」と出てくるので引退したということで良いのだと思うのだけど。
うーむ。
でももはやどっちでも良いような気はする。普通(?)作家引退と言ったら「もう本は出さない」を想像すると思うけど、森さんはそういうわけでもなさそうだし。

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